僕の頭痛体験記

バイクに乗る本屋勝海院長

バイクに乗る本屋勝海院長

私の「頭痛めまい」闘病日記 その1

娘の日和と院長の写真

私の頭痛がマックスになったのは2000年11月3日。35歳の時でした。元々、5歳から頭痛があり20歳位から血圧が高く正常値140/90mmHgに対し、200/130mmHgが当たり前のようにあり頭痛が月一回ほどありました。

※写真は2000年3月、家族で富士サファリパークに行った時のものです。よく見ると高血圧のためか私の顔色がかなり赤い事がわかります。娘の顔色とだいぶ違います。

僕の頭痛は遺伝か?

母が高血圧なので遺伝なんだと勝手に解釈して高血圧をほったらかし。29歳で結婚して家族に「お母さんが高いんだからパパも気をつけなさいよ!」と言われてもほったらかし。20代前半から倒れる35歳までそんな状態でした。

ついに発症

しかし、家族の忠告を守らずお酒、タバコ、寝しなにカップラーメンで12時過ぎに寝て、当時は家業の築地魚河岸で仕事してたので毎朝4時起床、睡眠時間2~3時間を10年も続けていました。これが頭痛で苦しむ全ての原因だったと思います。

私の頭痛は20歳の頃から月1回はあってバファリンをいつも飲んでいました。いわゆる緊張型頭痛後頭部が重い頭重感と言われるものでした。

異状なし

本屋勝海院長が飲んでいたクスリ

まず近所の総合病院に行って脳と耳の精密検査をしました。MRI、心電図、胸部レントゲン、血液検査、エコー、めまいの検査、他に何をやったか忘れてしまうほどたくさん検査しました。このめまいの検査はかなり辛かったですね。

円盤をぐるぐる回してそれを見たりとか、ただでさえめまいで立ってるのもやっとなのに拷問かと思いました。思ったのはこの時、脳外科で検査したんですけど周りにお年寄りばかりでしかもご自身の事がわかってないおじいちゃんやずーっと天井を見つめ微動だにしないおばあちゃんとか。。。

見てて泣きそうになりました。お気の毒にと思ったのと同時に自分も同じ空間にいるので「よっぽど俺は悪いんだな、もっと悪くなってかみさんの事や子供達の事がわからなくなったらどうしよう」と怖くなりました。

 

2週間後に結果が出たのですが血圧が高い以外はどこも異状がなく心配なし、降圧剤だけで飲んで血圧をコントロールしていきましょうという事になりました。これで検査で異状がなかったから精神的にとても楽になりました。でも、頭痛とめまいの地獄の日々はこれからが本番でした。(泣)

しかし、この高血圧、そして降圧剤がクセものでした。降圧剤って副作用が強くなかなか合うのが難しんですよね。母は合う薬が見つかるまで半年かかったと言ってましたが私もそうでした。

一個の薬を飲んで2週間様子みて、気持ち悪いとか副作用がきつい場合は他の薬に変える。その繰り返しで8種類くらい変えたと記憶しています。結局、半年かかってやっと合う薬が見つかりました。

 

閃輝暗点とのたたかい

院長と娘の日和、愛犬のチワワ

閃輝暗点に苦しむ毎日でした。特に朝、トラックで通勤して朝日が出ると目がチカチカ、めまいがして吐き気。偏頭痛になる。

帰りのトラックで今度は西陽が車内に入ると気持ち悪くなる。そんな状態でした。ロキソニン・抗うつ剤を処方されてましたが胃腸への副作用がひどくてつらい毎日でした。

かつみカイロ整体院